使用二か月後の評価は、X-T2以下、つまりメイン機にはなりえない、というものです。無論わたしの個人的意見です。
総合的なバランスとしての「画質」ではほぼ同等ですが、解像度ではα7RIIがやや上回るかな、さすがに。
しかしダイナミックレンジ、高感度性能ではX-T2が半身抜け出ています。
フジの「ダイナミックレンジ拡張」はよく効きます。
ISO800以上では400%拡張可能です。これでISO1600あたりまで常用、ISO3200でややノイズが気になるようになる、という程度で、白とびに悩むということもありません。
ところがα7RIIではISO3200はあまり使いたくないですね。前回も述べましたが全体に薄いノイズの幕がかかるように感じるからです。
↓
操作性は比較する気にならないこと、すでに述べました。
なにしろX-T2は軍艦部にISO,シャッタースピード、露出補正がそれぞれダイヤルがあってスイッチOFFですべて調整できるのですから。
α7RIIでは露出補正ダイヤルが独立しているだけです。
Sonyの場合はあいも変わらずメニューはいちいち画面に入る必要があるし、どこに何があるのかを知るまで時間がかかります。
二ヶ月たってもいまだ迷います。
その他、シャッター感触もα7からあまり改善されていないようです。
35㎜フルフレームだから仕方がないのでしょうか?
それでも見捨てることができないのは、前回の最後の一枚のような高解像度な画がでてきたり、
上の画のような柔らかく滑らかな諧調が目に心地よいからです。
高画素にカリカリなデジタルっぽい画質を求めている方には期待外れかもしれませんが、デジタルの技術革新によるアナログ・ライクな、つまりフィルムで撮ったかの如き絵柄を期待しているものとしては嬉しい高画素化です。
このあたり35㎜FFで36MP相当のX-T2の24MPセンサーより、α7RIIの42MPセンサーはやや有利なのかもしれません。
ちょっと見た目ではほぼ同水準の諧調の良さですが、じっくり見ているとじわじわ42MPの良さが見えてきます🎵
↑は自分が好きな画です。
いかにも35㎜FFらしいボケ方と中間トーンの美しさが善哉と自画自賛するのです凹凸(^^♪。
しかし画面がやや歪んでいるのは電子シャッター使用のせいです。無音でスナップ向きかと思われたもの動きモノを負ってレンズをちょっと振っただけでかなり歪みます。
これはもうまったく使い物にならないレヴェルです。
収差に話が及べばパープルフリンジもかなり酷いものです。
フォトショップ・ライトルームで一瞬にして修正可能らしいですが、わたしのエレメントではそうも行きません。
レンズによっても出やすさが異なるのは無論ですが、もっとも核心的レンズであるべきFE Sonnar 1.8/55ZAで盛んに出るのは納得が行きません。
などなど否定的な評価が大きいカメラですが、あと一つ良い点を挙げておきます。
SigmaのMC-11を経由してのEFレンズ使用ですが、α7ではほとんど合焦しなかった50㎜F1.8IIが、α7RIIでは爆遅ですが合焦します♫。
ということできっぱりと見きりができないα7RII二ヶ月後の使用報告でした。
さてα7IIIが発表になりました。3月23日発売ということですが、価格的にα7RIIの現行市場価格に近いようです。
これが気になります。
一月後にはα7IIIのレビューもでてくることでしょうから、それまではα7RIIをもっと使いこみ最終的判断を下そうと思います。
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by amselstillalive
| 2018-03-01 20:46
| 機材
|
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思うところあって京都懐古を中断し、ややアクチュアルな機材の検討に入ります。
アクチュアルといってもわたし個人にとってはであって世間的には旧モデルなので悪しからず。
1月初めよりα7RIIを使用しております。そしてもうはや二ヶ月になろうとしています。
使い心地は、はっきりいって酷いです。
α7より使い難い。無論X-T2とは比較にもなりません。
まず気になったのはダイナミックレンジの貧しさ。
普通のスナップでも空が入るとほとんど白とびするほど。
こっちの使い方にも問題はあったのですが。
というのも手ブレ怖さにISO感度を上げてシャッタースピードを稼ぐという習慣のまま撮影していたこと。
しかしα7RIIには手ブレ防止があった~!
で、ISO100かそれより低めの感度で手ブレ防止機能頼りに遅いシャッターで撮るとややましになったようです。
しかし高感度が必要なケースはあるわけで、
↑
は、駅構内で撮影しました。ISO3200でF4で1/50sでした。
手ブレはありませんでしたが、うっすらノイズが画面全体を覆っています。
このノイズを許容するか否かで意見は分かれますが、わたしは否派。
裏面照射は高感度に強いがうたい文句だったので失望しました。
これが不満点第二。
一方、最も売りのはずの高画素高精細はどうかというと、
これにもがっかりです。
α7との差異はほとんど感じられません。
ただ、高画素ゆえの諧調の滑らかさはたしかにあるかな、とは感じています。
ボケ具合はα7と変わりはないのでとくに評価はしません。
この35㎜版のボケがなければX-T2のほうが画質的には、つまり高感度、解像度、諧調、色調(ほとんどがB&Wの撮影ですが)などの総合バランスという意味ですが、はっきりといってX-T2の敵ではないように思います。とくに操作性を評価基準に加えればまったく比較しようとも思いません。
しかし、時に思いもかけない画が飛び出すこともあります。
この画は是非ともFlickrにて拡大してご覧いただきたいのですが、これこそ42MPの力かと思わせる解像度。
まるでFOVEONセンサーが映し出す世界のようです。
しかも、α7RIIはSigmaのカメラ(とはいえSD14,SD15、DP1しか使ったことがありませんが)よりはるかに使いやすいのですからこの点では文句は出ません。
つまりは評価する視点と比較対象する機材によっては良し悪しの判断が変わるということですね。
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by amselstillalive
| 2018-02-27 20:31
| 機材
|
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さて翌日は南禅寺を訪れました。前日の疲労からあまりモチベーションはありません凹凸(^^♪
でもせっかくだから訪れましたよ地下鉄で♪
昔はなかったなあ~。たしか三条の通りには路面電車が走っていたような気がする。
あの時は蹴上の和風旅館に泊まったのだが、その翌年には消滅していたので、今も当然ない。
この話を始めると情緒に流れるので本日は機材についての記事に致します。
山門から蹴上方面を望む。都ホテルが見えます。美しくないなあ~
XF23㎜は35㎜相当なのでゆったりと風景が切り取れます。
わたしにはこれ以上の広角は必要ありませんわ♪
こうしてPC画面で見ると実に気持ちよい精細な描写ですね♪
でもカメラのモニターではこれが確認できません。
この後、レンズをXF35㎜F1.4Rに交換しました。
前日からずっとXF23㎜F2だけを使用したのでほとんどボケる写真を撮ることができずイラついていたと当時は思っていたのですが、今になってみれば苛つきの理由は疲労だったことが歴然としていますが、そのまっただなかにいる時はそれに気づかなかったわけです。
でもとりあえずレンズを交換しました。
まず南禅院へ。
これは紅葉時はきっと美しかろうと思いますが、その時はまだ残暑厳しき折から参拝者も多くはありません。
それはともあれ、やはりよくボケるレンズです♬
南禅院ではまさに写経会が実施されているさなか、それでもお庭の参観はできました。
なるべくそうっとお邪魔にならないよう参観させていただきます。
参観者はわれ一人。
真夏のような猛暑の中、静寂な庭に写経の音がサラサラ響いています(のわけがない♪)
写経が終了して般若心経を皆さん一緒に唱えて会が終わったようです。
さらに奥の池の方へ。
XF35㎜F1.4Rも絞ればそれ以下の如く>>↓
高精細な描写も得意です。
まさに神レンズというべきか?(^^♪
これで絞りはF5.6、これで充分シャープです。
一方、開放絞りでは>>↓
即、ボケの世界へ。
絞りで自由自在な変化を楽しむのには極めて有効なレンズなのであります。
フジノンでよかった、このことであります♬
続く(かも知れない♪)
#
by amselstillalive
| 2018-02-08 21:41
| 日本
|
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三十三間堂>>清水寺>>八坂の塔からさらに(今回は護国神社はパスして)>>高台寺>>知音院>>青蓮院と歩む東山散歩の一日でした。
今回はその後半です。しかし旅行案内のようにはなりませんのであらかじめ申し上げておきます。
京を歩く幸せ、と前回に書きました。
七条から三条にかけての東山沿いに北へむかう散歩がまさにそうでした。
相変わらずの猛暑とはいえ軽い機材ゆえ余り苦にもなりませんでした(とここにはそう書いておこう♪)
予定ではもっと北に足をのばし南禅寺で一日を終えようと考えていたのですが、青蓮院で力尽きホテルへ帰還したのであります。
とはいえ、帰路も徒歩だったのですからこれは賞賛に値する散歩だったといえるでしょう。
と、自画自賛する凹凸(^^♪
高台寺は実は初めて訪れたのです。
幕末のころそこが越前公松平春嶽の宿舎だったことはお寺の案内で知りました。
折から開催中の「バロン吉元画侠展」を参観できたのは思わぬ収穫でした(^^♪
このあたりで実はもうかなり疲労していたのです。
ゆえにけっこう雑な参観態度でありました凹凸
途をさらに北へととり、途中、大雲院祇園閣へ寄り道したのですが楼上からの絶景は撮影禁止ということなので次へ進みます。
丸山公園内の「いもぼう」で食事をしたのはさて何時だったか?
もう30年以上どころか40年近くも前にもなるでしょうか?
このあたりから意識が懐古モードに突入してきます🎵
そのベクトルは30数年前の知りあったばかりで後に家内となる人との道行きへと収斂してゆくのでした。
彼女とは上海で知りあい、一人帰国したわたしを訪ねてその後日本へ来てくれたのでした。
わたしはせいいっぱいもてなそうとかなりの散財をしたものです(苦笑)
その時は南禅寺近くの和風旅館に泊まって東山一帯をくまなく参観したのでした。
今回の東山行はその当時の思い出を辿ろうという潜在意識による促しであったろうと途中で思いあたりました。
そのきっかけが「いもぼう」だったでしょうか?
いえ、その時と「いもぼう」は直接結びついてはおらず、あくまで懐古・懐旧のきっかけになったということです。
知恩院は本堂があいにく修理中でした。それでも法然上人御堂は参拝させていただきました。
しかしもうすでに疲労は極に近く、青蓮院まであと一歩であえなく沈没かと思われたものの
本堂前の売店のテーブルが陰にあり涼しくよく冷えたミネラルウオーターをゆっくり飲んで休んだところ、また少し元気がでてきました。
なにせ青蓮院は知恩院の北隣ゆえなんとか無事到着です。
ここは幕末時、粟田口御所ともいわれ明治になって久邇宮を賜られた伏見宮朝彦親王が門跡であられた寺院で、当時はもっと広大な地所を占めいわゆる「裏学習院」があり幕末志士の教育にあたられたということを、落合莞爾氏の諸著作で知っていました。
また池波正太郎の小説『人斬り半次郎・幕末編』で主人公の中村半次郎がここに派遣されて朝彦親王を警護するシーンが印象的でもあります。
というわけで、ここは幕末のころの重要史跡なのです。
ここは初めて訪れました。ゆえに個人的懐古ではなくわが国の歴史を振り返るための参拝でした。
なんだか修学旅行生の日記のような文章になってしまったようです。
せめてX-T2とXF23㎜F2WRのコラボに注目されたし♪
この日はこの機材だけですませました。
翌日はXF35㎜F1.4Rを持ちだすことになります。
続く(かも知れない♪)
#
by amselstillalive
| 2018-02-05 20:43
| 日本
|
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京都のような古い都市に見られるのは積み重なった時間です。
時間というのは意識による幻覚で、そういうモノが存在するわけではありません。
ゆえに人の意識によって伸び縮みすることがままあります。
時間の堆積、それは都市自体の歴史でもあるし、そこに住む人々の記憶の蓄積でもあるでしょう。
またそこを訪れた旅行者の回憶の重なりあった総体でもあるはずです。
わたしと京都との関係で云えばおもに最後の場合ですが、その視点から見て京都の変わらない部分にどうしても思いが至るのです。
清水寺のように何度も参拝したトポスでは過去の記憶と今見ている現象との違和感とか、あるいは初めであう事象に対する既視感などが起こったりもします。
前回、2016年冬に訪れたさいも、同じ托鉢僧が同じ場所におられて息子が喜捨させていただいのですが、今回は息子は同道しておらず喜捨もしませんでした。
記憶と現実が混じりあい意識の中で交感するうち、いずれが実際に起こったことなのかよくわからなくなります。
そういうことが古都などの回憶しやすい場所ではよく起こるようです。個人的な資質なのかも知れませんが。
かっては見られなかった外国人旅行者による和装での闊歩が京都ではとくに目に入る今日この頃です。
これに対する違和感は、おそらくは疑似和風という情けなくもわが国のありふれた状況を外から異化されたことによるのでしょう。
このような異化作用が、自分の記憶の中と現実の場所との齟齬の間でも起こるような気がします。
わたしが京一人歩きでつれづれに考えたことはそういった事柄でした。
また、懐古という言葉には昔を懐かしむということと同時に変わってしまった自分への忸怩たる思いと思い出の中の自分を懐かしむ感情もあるようです。
昔があり今がある、昔の自分がいて今の自分がいる。
旅というものは元来、日常生活を離れて自分と向き合う作用があるのですから、様様な思いが湧きあがって
自分と自分をとりまく環境、それは自然や社会を含んでのことですが、その過去現在未来を通しての次元を往来するトリップでもあるでしょう。
だからこそ人は旅をするのです。
わたしが一人で一時帰国するのは二十数年ぶりのことです。
せっかくの一人旅、京を歩く幸せをしみじみ味わおう、こうして京都へとやってきて自分の意識を思う存分遊ばせたのでした。
そんな意識の遊びにはやはり古都がふさわしい。このことでありました。
続く(かも知れない♪)
時間というのは意識による幻覚で、そういうモノが存在するわけではありません。
ゆえに人の意識によって伸び縮みすることがままあります。
時間の堆積、それは都市自体の歴史でもあるし、そこに住む人々の記憶の蓄積でもあるでしょう。
またそこを訪れた旅行者の回憶の重なりあった総体でもあるはずです。
わたしと京都との関係で云えばおもに最後の場合ですが、その視点から見て京都の変わらない部分にどうしても思いが至るのです。
清水寺のように何度も参拝したトポスでは過去の記憶と今見ている現象との違和感とか、あるいは初めであう事象に対する既視感などが起こったりもします。
前回、2016年冬に訪れたさいも、同じ托鉢僧が同じ場所におられて息子が喜捨させていただいのですが、今回は息子は同道しておらず喜捨もしませんでした。
記憶と現実が混じりあい意識の中で交感するうち、いずれが実際に起こったことなのかよくわからなくなります。
そういうことが古都などの回憶しやすい場所ではよく起こるようです。個人的な資質なのかも知れませんが。
かっては見られなかった外国人旅行者による和装での闊歩が京都ではとくに目に入る今日この頃です。
これに対する違和感は、おそらくは疑似和風という情けなくもわが国のありふれた状況を外から異化されたことによるのでしょう。
このような異化作用が、自分の記憶の中と現実の場所との齟齬の間でも起こるような気がします。
わたしが京一人歩きでつれづれに考えたことはそういった事柄でした。
また、懐古という言葉には昔を懐かしむということと同時に変わってしまった自分への忸怩たる思いと思い出の中の自分を懐かしむ感情もあるようです。
昔があり今がある、昔の自分がいて今の自分がいる。
旅というものは元来、日常生活を離れて自分と向き合う作用があるのですから、様様な思いが湧きあがって
自分と自分をとりまく環境、それは自然や社会を含んでのことですが、その過去現在未来を通しての次元を往来するトリップでもあるでしょう。
だからこそ人は旅をするのです。
わたしが一人で一時帰国するのは二十数年ぶりのことです。
せっかくの一人旅、京を歩く幸せをしみじみ味わおう、こうして京都へとやってきて自分の意識を思う存分遊ばせたのでした。
そんな意識の遊びにはやはり古都がふさわしい。このことでありました。
続く(かも知れない♪)
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by amselstillalive
| 2018-02-04 20:36
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